県南さんぽだより 第53号
2017/1/1発行 発行所:県南地域産業保健センター 発行人:大西 慶造
![]() 「産業看護師となって」株式会社 クボタ竜ヶ崎工場 医務室 山田 幸枝 |
私は国立霞ヶ浦病院付属の看護学校を卒業後、病院勤務をしていましたが、たくさんの経験がしたい、興味のあるものには、積極的に行動したいと思い、病院をかえたりしたことで、多くの経験ができました。大変勉強にもなり、何しろ毎日が新鮮でした。 3年目の秋に、某大学病院呼吸器外科の病棟勤務になったときは、希望の外科だったこともあり、毎日、張り切って働いていました。 ある日、受け持ち患者の自殺現場に遭遇してしまいました。子供の時から患っていた病気も何とかよくなり、退院が間近でした。どうして救えなかったのかという自責の念が渦巻くようになり、患者を看護することが、できなくなりました。自分の力が無いことはもちろん、看護師として働くのが、疑問にさえなってきていました。 しばらく悩み、結論として、「病気になってからではなく、病気になるのを未然に防ぐことはできないかということ」を、考えるようになり、そういう仕事に携わりたいと考えるようになりました。やっと、考えた 末、たどりついたのは、産業看護師でした。 某会社の看護師募集の広告に「看護師としての、知識や経験で わが社の社員の健康管理にあなたの、経験を生かしませんか」というものでした。若い私が健康であることの重要性、そして命の尊さを伝えることがどれだけできるかは、未知数でしたが、情熱をもって、伝えたい。これだ・・!と思い、思いっきり飛びついたのを,昨日のことのように、思い出します。 それからは私の産業看護師の歴史が始まりました。生活の都合で、病棟看護師をすることもありましたが、やはり、企業の産業看護師が、私にとって、やりがいであり、そのものでした。現在で3社目です。 会社という小さなひとつの社会ではありますが、一人ひとりの、違った生き方や、人生を垣間見ることもあり、産業看護師として、身が引き締まる思いで、受け止めてきました。本気で頭を抱えて、どうしたら解ってもらえるのか、考えることもありました。眠れないこともあり、心配しすぎで、胃が痛むことも、しばしばありました。 でも、最後には、少しでも、改善し、元気でまた働けるようになったなと思えるとき、産業看護師として、本当にうれしい限りでした。 現在、わが社は高齢化がすすんでいます。会社の高齢化をとめることはできません、いままでは、病気の予防に努め、元気で働けるようにいつも見守ってきましたが、今は自分も、その高齢者になってきましたので、見方や感じ方が少し変わってきました。 それは、老いというものが、かなり手ごわい相手であるということ。そして、どうしても逃れられない、ものとして、全ての人にあるという当然のことを、今自身で感じています。 今までは、考えられなかったことや、できたものができないことや、どうしても前に進めないことなど、感じる度に情けないと思いつつ、若い時の情熱はどこへ行ったのかと、さびしくなることもしばしばです。でもそれは、その時でないと気が付かないものなので、今のこの時が自らを学ぶ、いい時期なのでしょう。 私は、老いを否定しませんし、受け容れることが必要だと日頃から、考えています。 看護師は、たくさんの方の死に様に関わってきていますのでよく知っているつもりです。 でも、それを、敢えて選ぶひとがいることも事実です。そのくらい 死は恐い存在でありながら、体験できないこともあり、一種の現実逃れの手段なのかもしれませんし、選べるものだと思われがちです。 また、老いの終点は死であり、生まれたものは必ず、死を迎えます。これは、誰も逃げられないことです。そのときまで、いかに自分らしく、納得した生き方をするか、楽しかったり、悲しかったり、色々でしょうが、患者様(従業員)に関しても、色々な場面で、生きている喜びを感じながら、最後に満足のいく人生だったと、言えるようになっていただければ、といつも考えています。それには、少しでも病気での苦しみがないほうが、いいわけで、そのことは、就業中はもちろんのこと、保健指導の根幹として、長い目で伝えていかなければいけないものです。 今、保健指導は結果の解釈で、指導していくことでなく、未来を見据えた指導。 その方の望んでいる未来像を実現するための、考え方の助言など、若い人から、定年を間近に控えた人まで、健康な身体があるから、実現できることを、指導にいれています。自ら行動できるように後押しするものだと私は思っています。 老いを感じている私ですが、ほんの少しの時間の関わりで、お役に立てれば、最大の喜びだと思いますし、私の生涯で一番貴重な、輝かしい時間であったと思いたいです。 これからいつまで、この仕事ができるかは、分かりませんが、私と関わっている方がいる限り、私は、看護師でしょうし、その考えはゆるぎないでしょう。 |
【県南地域産業保健センターから】
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