漢方医から職場への処方箋 (3)
労働者健康福祉機構 鹿島労災病院
メンタルヘルス・和漢診療センター長 伊藤 隆
漢方医から職場への処方箋(1)
漢方医から職場への処方箋(2)
目次
- 体に悪い「薬」をやめよう ~薬とサプリメント~
- 加齢に対する薬(最終回)~八味地黄丸(はちみじおうがん)~
⑪ 体に悪い「薬」をやめよう
~薬とサプリメント~
はじめに
健康の秘訣、それは体に悪い物をやめることにあります。
現代ではテレビ等にてからだによい薬、サプリメント、健康器具の情報が氾濫しています。
誰かにとって良い「薬」は必ず誰かの「毒」になります。 これは、薬理学を少し勉強すれば誰でも分かることです。 毎日頂くご飯でも、下痢や嘔吐のときは症状を悪化させることがあります。 人間の体は常に変化しています。常に体に良い「物」なんてこの世にはありえません。 体の変化に応じた、その時々の対応こそが漢方医学の最も大切なところなのです。
その1 消炎鎮痛薬
- 長期服用すれば副作用は必発
痛みのために鎮痛薬を服用している人がとても多いです。鎮痛薬は1~2回ならともかく、 長期に服用すれば、副作用は大なり小なり必ず出現します。症状は胃炎、胃潰瘍に限りません。 ご病気が関節リウマチでもない限りは、まず鎮痛薬を止めることを考えてみてください。
医師は貴方を治そうとしているのではありません。貴方の希望で処方しているだけなのです。 - 薬が頭痛をきたす
頭痛持ちの方は鎮痛薬をよく服用しています。鎮痛薬に依存してきますと、薬の作用が切れると頭痛がおこります。 すなわち、治療薬であるべき薬で頭痛をおこしている状態なのです。
薬物依存性頭痛と呼ばれています。 鎮痛薬を服用していて1カ月に15日以上頭痛に悩まされている方はその可能性があります。 薬物をやめないと治りません。 筆者は漢方薬を併用しながら、頭痛薬を減らしていきますが、 何よりも薬をやめるのだというご本人の決意が治療上不可欠です。 - かぜ薬がかぜを長引かせる
かぜ薬には消炎鎮痛薬が使われています。かぜを長引かせないコツをお教えしましょう。 症状のひどいときに少しだけ服用するのです。 購入したからといって全部服用しなくてよいのです。
インフルエンザのときには、解熱薬は原則用いません。 発熱が体の免疫能を高めてウィルスをやっつけてくれるからです。 発熱は、通常は3日前後で治るはずですが、1日3回解熱薬を飲み続けていくと、長引く場合がでてきます。 筆者の経験では、かぜ等で発熱が1週以上持続する例の多くが解熱薬を使いすぎている症例です。 熱が39℃を超えて最もしんどいときに少しだけ服用する、その程度の使用が理想と考えています。 - 舌に潰瘍ができた症例
筆者が苦労した患者さんのことをお話しいたしましょう。
65歳の女性で、難治性の舌潰瘍(舌の粘膜がえぐれてしまった状態)で、手術までして傷を塞いだのですが、 その後も潰瘍を繰り返してきました。舌の痛みは漢方の得意とする分野ですが、この方はなかなか良くなりません。 ある日カルテを見ているときに、整形外科から鎮痛薬が処方されていることに気づきました。 足の関節痛のために、数年間毎日服用し続けてきたのです。 中止をお勧めしましたが、家事と仕事ができなくなると拒否されました。 舌の潰瘍はさらに続き、歯科口腔外科より再手術が勧められました。 そこでようやく鎮痛薬をやめてみたところ、舌の痛みが和らぎ漢方薬も効くようになりました。 手術を行わずにすんだのです。足の関節痛に対しては鍼で対応しています。鎮痛薬が舌の潰瘍の原因だったのです。 - 難治性の下痢をきたした症例
80歳の男性で、頸椎症による麻痺のために手術が予定されています。 ところが、4カ月前から原因不明の下痢がひどく、1日に10回以上もあり、栄養不良のために全身状態が悪化しました。 強力な下痢止め薬を数種用い、さらに漢方薬も試みましたが、下痢の止まる気配は全くありません。 このまま続けば、手術どころか、生命が危ぶまれる状態でした。
ある日の訪室時、入院時に中止したはずの鎮痛薬を目にしました。 患者さんが痛がるので結局続けていたのでした。 「この薬やめましょう」と言いますと、患者さんは「先生、これを飲まないと痛みがさらに悪化するので困るんです」と抵抗されましたが、 説得して中止させました。翌日より下痢の回数が著減して、3日後には、あれほどしつこかった下痢はほぼ終息しました。 翌週、無事頸椎の手術をすることができました。
舌潰瘍、下痢は鎮痛薬の副作用としては珍しい症状です。 しかし、鎮痛薬を長期内服して、何らかの副作用がでてくることは不思議でも何でもありません。
その2 漢方薬
「漢方薬」にも副作用はあります。それゆえに副作用のないように用いる伝統医学的な用い方が重視されています。
黄芩(おうごん)は抗アレルギー作用、抗炎症作用があって、慢性の炎症疾患の治療には欠くことのできない重要なお薬です。 しかし、筆者の病院で調査してみたところ、服用した人の1%に肝機能障害が出現していました。 自覚症状はほとんどありませんので、服用して1~2カ月後に1回は採血を勧めています。 肝機能異常が出現しても原因生薬を抜けばたちどころに改善しますが、 一度異常値を呈した方は、再度服用すると繰り返しますので注意が必要です。これは通常の薬剤アレルギーと同様です。
甘草(かんぞう)の副作用は、血圧上昇、浮腫、尿量減少です。 女性、高齢者、むくみやすい人に出現しやすいとされます。出現頻度は服用例の3%でした。こちらはその時々の体調によります。
その3 サプリメント
- 歴史が違う
サプリメントも漢方薬も基本は天然物なので、似通ったイメージがあるためか、よく質問されます。 サプリメントの問題は新しい「商品」であることです。 来年も同様に支持(販売)されているものか、分かったものではありません。 例えば、一世を風靡した紅茶キノコは今どこにいったのでしょう? 蟹の甲羅からとったキチンキトサンは? 音楽でいえば、漢方薬を超クラシックとすれば、サプリメントははやりのヒット曲のような存在です。 こうした実績の乏しい輩と少なくとも2,000年以上用いられてきた漢方薬とどちらが信頼できるのか、答えは明らかです。 しかし、同次元に思っている方が多いのも事実です。 - 漢方薬をやめてサプリメントを選んだ症例
末期がんの患者さんが漢方薬を飲んで体調を維持されていました。あるとき、「先生にはずいぶんお世話になり感謝していますが、息子が30万円もするキノコのエキスを購入してくれたので、そちらを服用することにします。ありがとうございました」と申されて去っていかれました。なんと愚かな決断をとは思いましたが、反対できませんでした。 マウスを用いた薬理実験で漢方薬が癌の転移を抑制する結果はでているのですが、臨床的なデータは乏しいのです。
情けないのですが、そのような研究ができるほど漢方業界は儲かりません。 漢方薬の売り上げをすべて合計しても、一錠の抗高脂血症薬の売り上げに達しません。 同次元の研究成果を期待する方が無理です。農産物でありながら、2年ごとの薬価改訂では、 他の合成医薬品と同様に値下げを強いられてきています。 しかも、昨年末、行政仕分けの対象にもなり、反対の署名運動が行われたことは記憶に新しいところです。弱い業界なのです。 - 副作用がある
通信販売で購入したロイヤルゼリーで肝機能障害をきたした人がいます。 漢方治療中の患者さんで、肝機能障害が判明したので、漢方薬を中止したのですが、治らないのです。 他に何か飲んでますか?と尋ねたら、ロイヤルゼリーを飲むことを私が許していたと言うのです。 試みに中止したところ肝機能障害はたちどころに改善しました。 原因がロイヤルゼリーそのものか、添加物かはわかりませんが、サプリメントも決して安心できません。
さいごに
江戸時代の書物にこんな一節があります。
「病を得て医師にかからぬは中医を得たりと」
病気にかかって医師にかからないのは、中くらいの医師にかかったのと同じくらい良いことだ――これは下手な医師にかかったら病気が悪化してしまうことを皮肉ってるのです。
医師の立場からすると、やめるべきでない薬が少なくありません。 しかし、薬のせいで体調を悪化させている可能性がある場合は、薬をやめることを選択肢の中に入れてみましょう。 信頼できる医師、薬剤師に相談できることを祈ります。
⑫ 加齢に対する薬(最終回)
~八味地黄丸(はちみじおうがん)~
はじめに
私たちはいくつになってもこころは10代のままですが、からだは確実に老化していきます。 高齢化社会の到来とともに、我が国では60歳以降も働き続けねばならない人が増えています。 筆者もおそらくその1人でしょう。
漢方医学には加齢に対応していく考え方とお薬があります。
腎虚(じんきょ)
腎虚とは、加齢あるいは病によりこれらの働きが低下した状態を意味する漢方医学の病態概念です。 高齢化に伴う種々の疾患を、ひとつの病態として捉えようとしています。
生命活動の根源的エネルキーとされる「気」は、誕生に際して父母からあたえられる「先天の気」と誕生後に呼吸、 食物などから得る「後天の気」の二つに大別されますが、 腎は「先天の気」を管理する機能単位と考えられています。
その働きは、
- 成長・発育・生殖能、
- 骨・歯牙の形成と維持、
- 水分代謝の調整、
- 呼吸能の維持、
- 思考力・判断力・集中力の保持
とされています。いずれの機能も加齢とともに低下していきます。
この腎虚に対する漢方薬が八味地黄丸なのです。
使用頻度
数あまたある漢方薬の中でも八味地黄丸の使用頻度の高さは抜きん出ています。 漢方を専門とする5施設で、1997年4月のある2週間において、すべての外来処方を調査して、八味地黄丸を処方した回数を数えてみました。 その使用頻度はすべての漢方薬の中で最も高く、男性では40歳代の10%、50歳代の20%、60歳代の30%と加齢により上昇し、 70歳以降減少しました。一方、女性での使用頻度は50歳代10%、70歳代20%、80歳代になってようやく30%でした。 すなわち、明らかな性差が認められました。
この薬は古来より「老人の薬」として知られてきましたが、高齢化社会の現代において、 とくに男性に関しては40~50歳代という「働き盛り」の薬になっていたのです。
構成生薬と適応
八味地黄丸はその名の通り、八つの生薬から構成されています。 2000年前の医学書である金置要略(きんきようりゃく)には、「地黄(じおう)8両(1両は1グラム)、 山薬(さんやく、山芋のこと)、山茱萸(さんしゅゆ)各4両、沢瀉(たくしゃ)、茯苓(ぶくりょう)、 牡丹皮(ぼたんぴ)各3両、桂皮(けいひ)、附子(ぶし)各1両、これを蜜に和して桐の実大の丸薬にして、 酒にて15丸から25丸を1日2回服用」と記載されています。
地黄、山薬、山茱萸の3つで全体の7割を占めます。山薬は山芋、つまり良質のでんぷんをたくさん含んでいます。 地黄、山茱萸も準栄養剤的な生薬といえましょう。 これら精力増強作用のある生薬に、気をめぐらす桂皮、血をめぐらす牡丹皮、水を調整する茯苓、沢瀉が加わります。 高齢者の保健薬として意義のありそうな内容です。
適応は同書には「虚労(きょろう)」と記載されています。虚労とは、いくら睡眠をとっても拭うことのできない疲労感、倦怠感を表現しています。
「老化は足から」と言われますが、一定の年齢を過ぎると、加齢による衰えは下半身より始まります。 八味地黄丸の適応はまさに下半身の働きに関連しています。 具体的には、下肢痛、しびれ、多尿、夜間頻尿、腰痛、腰以下の無力感などです。 これ以外の症状としては呼吸機能の低下が重要な目標です。 服用しますと足腰の不安が減って元気に動くことができるようになります。
八味地黄丸は種々の薬の基本薬になっています。 これに牛膝(ごしつ)、車前子(しゃぜんし)を加えた牛車腎気丸(ごしゃじんきがん)は、 下半身の疼痛・しびれの強い例あるいは浮腫例に用います。 この八味より桂皮、附子を除いた六味丸(ろくみがん)は、足のほてり、口の乾きの強い例に用います。
副作用として、服用例の約1割に胃もたれ、食欲低下が見られます。 地黄のためと推測されます。胃腸の弱い症例には注意が必要です。ときに湿疹をきたす例もあります。
作用
- 微小循環を改善する作用
しびれ、疼痛を改善します。この薬は炎症を抑えるというよりは、 局所の循環や赤血球が数個通れる程度の微細な循環(微小循環)を改善して、 末梢運動神経の機能が回復(運動神経伝導速度が上昇)したとする報告があります。 - 認知症に対する作用
多数例の高齢者に用いて認知機能と日常活動度が改善したとの報告があります。 筆者の経験では、軽症例には良い場合がありますが、アルツハイマー病等の重症例にはそう効くものではありません。 - 糖尿病に対する作用
合併症を予防、軽減します。糖尿病は神経、腎臓と眼に合併症をきたすことで重大な疾患ですが、 この薬を長く服用していると、神経障害と腎症がより軽度になると報告されています。 血糖が高い状態になると、酸化的ストレスが高まり、活性酸素が増え、ラジカル生成が増して、 血管内皮を始め種々の組織に障害を与えます。八味地黄丸にはラジカルを捕捉して減らす機序が考えられています。 ラットを用いた実験において腎臓の障害が改善されたことも報告されています。 - 呼吸機能改善作用
慢性のいきぎれを改善します。慢性に喘息発作をくりかえす患者に12週間服薬させたところ、 閉塞性障害を反映するピークフロー値が約50L/min上昇し、喘息状態の改善が認められました。 発作そのものを改善させる強力な作用はありませんが、 冷気や運動などの刺激により発作を誘発していた人が発作を起こしにくくなる予防効果を得ることができます。 ただし、在宅酸素療法を要するほどの重症例は適応ではありません。 - 下垂体副腎系に対する賦活作用
八味地黄丸を服用していると、「元気になる」患者さんが少なくありません。 デヒドロエピアンドロステロン(DHEA)は副腎皮質ホルモンのひとつで、思春期に急増し、 以後年間3%ずつ低下していくため、老化の指標として知られています。 このホルモンにはストレスにより障害された組織の修復と回復に働く作用、 すなわち抗潰瘍、抗糖尿病、抗肥満、抗動脈硬化、免疫賦活などの作用があると考えられています。 八味地黄丸を服用すると、このホルモンが賦活されることが報告されています。 加齢によるストレスに強くなるのです。
運動
加齢と運動の関係は古くより指摘されています。
「流水は腐らず。戸ぼそは虫食わず」。
戸ぼそは、開き戸の戸棚の軸になるところ、動くところです。戸棚は腐っても軸になるところは腐らないという意味です。 要するに動いている部分は腐らない、流水も腐らない、虫も食わないということです。
「一身動けば、一身強まる」、「人間、足からあがる」、「隠居三年」。いずれも下肢を動かす重要性を示す諺です。
車社会では歩く機会が減少します。高齢者ならずとも、日常歩くことが勧められています。
“健康日本21”では1日平均歩数男性9,200歩、女性8,300歩程度が目標とされています。
仕事で下半身に衰えを感じるようになったら、まず運動してみましょう。 そして回復が思わしくなければ、八味地黄丸を検討してみてはいかがでしょうか。