人材マネジメントとしての産業保健
茨城労働局長
浅田 和哉
(さんぽいばらき 第30号/2007年11月発行)
労働者が生きる糧を得るために労働する過程で生命や健康を失うという業務上疾病、いわゆる職業病は最も悲惨な災害の一つです。では、このような業務上疾病は、女工哀史の時代のような過去の遺物なのでしょうか。
いいえ、実は、世界に冠たる先進国の、しかも21世紀の我が国において今まさに直面する最も切実な課題の一つです。
我が国において昨年1年間に、8,400人近くの労働者が業務上疾病に罹患しています。また、1,800人近くの労働者が石綿による肺がん・悪性中皮腫として、150人近くの労働者が過労死として、200人余りの労働者が業務上の精神障害等として、それぞれ労災認定を受けています。
さらに、職場の一般定期健康診断で何らかの異常所見を有する労働者の割合は増加を続け、50%近くに達するとともに、仕事や職業生活に関する強い不安、悩み、ストレスを感じる労働者の割合も実に60%を超えています。
以前、大企業の労務担当部署の方々に「御社における労務管理上の重要課題は何ですか」と聞いたとき、返ってきたのは、異口同音に「メンタルヘルス対策です」という答えでした。その理由を聞くと、「企業にとって貴重な戦力となっている働き盛りの人々が相当数うつ病等に罹患し、しかも、いったん発症すると休業期間も長期にわたり、職場復帰も困難である」というものでした。
バブル経済崩壊後の厳しい国際競争の中で、多くの企業においてダウンサイジングと新規採用の抑制、さらには成果主義の人事制度が導入されました。これに伴い、30歳代、40歳代の働き盛りの層がマネージャーではなく、プレーイング・マネージャーとして激務(長時間かつ密度の高い労働)に追われるようになったという指摘がなされています。また、仕事ができる人にはさらに仕事が集中し、仕事の負荷の不均衡が増大したとの指摘もなされています。これらの事態を放置すれば、今後さらに深刻な状況に陥りかねないのではないかと危惧されます。
労働者はもちろんのこと、どの企業も決して業務上疾病の発生を望んではいません。では、なぜ業務上疾病がかくも多発しているのでしょうか。また、ほとんどすべての業務上疾病は、未然に防止することができたにもかかわらず、なぜ防げなかったのでしょう。
これらの問いかけに対して、真剣に解決策を希求し、その解決策を迅速に実行に移すことこそが労働者の命を預かる経営トップの責務ではないでしょうか。
欧米のメジャーな企業では、産業保健を業務上疾病の防止という消極的な観点だけではなく、むしろ、人的資源の効用を最適化するという人材マネジメントの観点から、経営戦略の一環として位置づけ、運用しています。また、産業医を始めとする産業保健スタッフは、人材マネジメントの重要なスペシャリストとして、経営トップから極めて重要な役割を期待されています。
企業にとって、付加価値の創造を担い、企業競争力の源泉である「人」こそが最も重要な経営資源という観点に立てば、経営トップは産業保健にもっと目を向けるべきではないでしょうか。