カウンセリングの目指す人間関係

(財)茨城カウンセリングセンター 理事兼カウンセラー
茨城産業保健総合支援センター 産業保健相談員
永原 伸彦
(さんぽいばらき 第27号/2006年11月発行)

はじめに

私は平成16年度から茨城産業保健総合支援センターにおいて「カウンセリング技法講座」を担当してきました。この講座では、私自身が多くのことを学びました。現在の企業組織にとって、メン夕ルへルスの問題は一層切実なものとなり、カウンセリングを学び、取り入れていくことの重要性はさらに増大しているように思えました。
そこで、今回は「カウンセリングの目指す人間関係の特質や、いま、なぜそれが重要なのか」について述べてみたいと思います。

「あなた」と「わたし」の人間関係

私は長くカウンセリングの仕事をしてきました。その経験からーつだけ確信したことがあります。人は「あなた」と「わたし」という人間関係の中でこそ、癒されていくのだということです。
「あなたの話を聴きたい」「あなたの気持ちをわかりたい」「あなたに伝えたい」「あなたをサポートしたい」という人間関係は、二人称の関係です。「彼・彼女」「彼ら・彼女ら」との人間関係ではないのです。
苦しみの中にある人の立場からみると、他ならぬ「このわたし」に関わってくれる「あなた」との関係の中でこそ、心は開き、心の疲れが癒されていくのです。

人間関係が「港」になる

この「あなた・わたし」関係を育むためには、「そのままのあなた」を受けとめようとすることが大切です。「ありのままのあなたの心」を聴きたいのです。この関係を深め、育てるために、カウンセリングは「傾聴」や「共感」や「受容」の態度に支えられた様々の技法を生み出してきました。
このストレス社会の中、人は、緊張と警戒心の中で、「心を閉ざすことや心を防衛すること」にエネルギーを使って生きています。だからこそ、「ありのままのあなたを聴きたい」という関わりは、ストレスによる緊張と警戒心を溶かし始め、「ありのままのわたしを聴いてほしい」という素直で柔らかな心を生み出していくのです。
私は、この「あなた・わたし」関係が育まれることを「人間関係が<港>になる」と呼んでいます。
どんな人生の荒波も、人間関係の港があり、帰るべき港があることで、生き抜くことができます。しばしの間碇を下ろして港に停泊しエネルギーを補給しながら、人は「自分自身を生きる」ことの大切さを思い出すのです。

心のべースキャンブ

ひとつの例を話しましょう。
このごろは、派遺社員でなくても、その仕事の性質上、派遺先に常駐しているという業務形態が増えています。特にIT関連の領域では多く見られます。
順調なときはいいのですが、心身の調子が不安定になったり、顧客である派遣先との関係に苦しみ始めますと、その社員は追いつめられ孤立していきます。
このとき、派遣先常駐者は、相談すべき上司をその職場に持たないことがあるのです。
やはり派遺先との関係に苦しんでいた彼は、ある朝、電車の乗換駅から体調が悪いことを会社に連絡し、帰宅しました。実際は出社拒否でした。家で呆然としていたとき、本社の部長から連絡が来ました。「どうした…まあいいから休め」と言う部長の声は意外なほど暖かいものでした。
部長は本人とすぐに会い、「君をサポートしたい」と伝えました。
環境調整、産業医への橋渡しなど、部長の対応は素早いものでした。しかし本人にとって最もありがたかったのは、部長の「君をサポートしたい」の一言でした。その後の紅余曲折の中で、苦境なときほど彼を支えたのもこの一言でした。
人は「人間関係という港」を必要としているのです。専門家に橋渡ししても決して見守ることを忘れず、「君を支えるのは私だ」と伝えてくれた部長のメッセージこそが、彼の心の「べースキャンプ」になったのです。

「こころの私を生きていこう」

もうひとつ例を話しましよう。
今度は、悩める人の内面の過程に沿ってみていきましょう。
べテランの看護師である彼女は、職場の人事で非常にやりきれない思いにとらわれていました。やり場のない怒りの次に来たのは、足元から潮が引いていくような悲哀感でした。彼女は、カウンセラーに話を聴いてもらうことにしました。
聴いてもらい吐き出すことで、自分の中が少しずつ浄化されていくのがわかりました。そして不思議なことに、浄化されていくというのは、単にきれいにすっきりするということだけではなかったのです。まず、一皮むけて周りが見えてきました。職場の人事も人間関係も不完全なものとしてそのままそこにある、それをゆるやかなまなざしで見ている自分がいたのです。
ある夜、彼女はべッドから飛び起きました。夢を見たのです。
船底で何かを背負おうとしている自分がいます。それは横たわっていたもう一人の自分でした。一生懸命かついで船上に出ようとしています。
彼女の内面には、「この自分を生きていこう」「この自分を背負い、引き受けて生きていこう」との思いが生じていました。
以上二つの例からもおわかりのように、カウンセリングの目指す「あなた」と「わたし」の人間関係、そして「そのままのあなたを聴いて、大事にしたい」という人間関係が、苦境にある人を支える拠りどころになっているのです。
部長の「君をサポートしたい」という一言は、派遣先の彼を「心の遭難」から救いました。
苦しみを吐き出し、そのままの自分を受け入れてもらった彼女は、ついには「ありのままの自分を受け入れ、救出し、この自分と共に生きていきたい」という自分に出会うことができました。

「心理的環境」の重要性

さて、カウンセリングをもう少し別の観点からみてみましょう。
私たちは、環境の中に生きています。職場・家庭・学校などの環境から多くの影響を受けながら暮らしています。
職場を例に取りますと、そこに働く人々を取り巻く労働環境としては、まず物理的環境(物理的・化学的・生物学的要因、仕事の質や量、その条件に関するもの等)があげられます。作業環境、労働時間、待遇などが、心身の健康にも影響を与えます。
しかし、物理的環境のみならず労働者はその職場の「心理的環境」にも大きく影響されています。
「心理的環境」とはその職場の人間関係やコミュニケーションの状態などを指しているのです。私たちはこの人間関係の風通しの良さや、コミュニケーションの豊かさによって働き甲斐のある職場生活を送ることができます。しかし、これらが悪化すると、強いストレスを抱え込むことにもなります。
メン夕ルへルスの上でも、「よりよい人間関係」や「援助的コミュニケーション」の重要性が浮かび上がってきます。
職場の「援助的コミュニケーション研修」や管理職のための「リスナー教育」は、ここまで述べてきた「カウンセリングの目指す人間関係」を身につけていこうとする研修であると言えるのではないでしようか。
いずれにせよ、職場の「心理的環境」は、例えばそこのグループ・リーダーが交代にしただけで、職場の「空気」が大きく変わることがあることでもわかるように、人の持つコミュニケーション能力や対人関係の持ち方の柔らかさや豊かさなどによって、大きく左右されるものであると言えるでしよう。
この「心理的環境」の中核に、援助的コミュニケーションを代表するものとしての「カウンセリング」を位置づけることができるのです。
こうして、「職場のメンタルへルス」の向上を図る上でも、医学モデルと緊密に補完しあいながら、コミュニケーション・モデルとしてのカウンセリングの重要性は、今後一層増大していくことでしょう。

カウンセリングの目指す人間関係

はじめに申し上げましたように、カウンセリングの目指す人間関係は、「あなた」と「わたし」の人間関係であろうとすること、そして「ありのままのあなたを聴きたい、大切にしたい」ということを目指す人間関係であろうとすることなどの特徴をもっています。
このような人間関係が「ホーム」となり「港」となることで、人は癒され、育まれていくのです。
人は「よき聴き手」を得ることによって、安心して自分の心の中に入っていき、自分自身と対話し、自分自身を受け入れ、自分自身と共に生きていこうとするのです。
この原型がわかっていれば、専門的カウンセリングだけでなく、職場や家庭での人間関係に幅広く応用することができるようになります。
みなさんにもぜひカウンセリングに触れていただきたいと思います。カウンセリングを学ぶことによって、柔らかで豊かな人間関係を育み、かけがえのない人生との出会いが生まれていく、そんな一助となることを心から願っております。