放射線の光と影

(さんぽいばらき 第23号/2005年7月発行)
茨城産業保健総合支援センター 相談員 大原 潔

はじめに

大原 潔 先生

大原 潔 先生

まずは自己紹介から。
私は昨年度から、茨城産業保健総合支援センターの産業保健相談員を拝命しています。筑波大学に教員として勤務し、医学生教育と研究とを兼ねて診療を行っている放射線腫瘍医 (放射線治療医 )で、附属病院の放射線取扱主任者を仰せつかっています。初心の志を忘れないよう、大学教員としては副業とみなされるきらいがある診療に重点を置いています。
放射線腫瘍医とは、社会一般になじみの薄い医職種であろうかと思います。放射線を利用してがんの治療を行う医師です。放射線科医 (多くは放射線診断医)に属しますが、がん専門医とご理解いただく方がむしろ適切であろうかと勝手に思っております。がん専門医というと、外科医を想像される方が多いのではないかと思います。 (http://jsco.umin.ac.jp/index-j.html)
外科医は、特定の臓器のがん(例えば肺がんや食道がん)に対する外科治療における専門医です。

これに対し、放射線腫瘍医は成人、小児を問わず、脳腫瘍、喉頭がん、乳がん、前立腺がん、子宮がんなど、 総ての臓器のがんを対象として治療します。(http://www.jastro.jp/)残念なことに、放射線腫瘍医の数はがん診療にかかわる諸他科医の数に比べて圧倒的に少なく、国内の放射線腫瘍認定医は 400人を少し超えるほどしかいません。認定医が1人しかいない県もあるほどです。

相談員としての抱負

診療においては放射線腫瘍医ならではという特殊性に直面します。患者さんは基本的に、他科医 (主治医 )からの紹介で初めて訪れることになります。つまり、主治医が放射線治療はどうかと考えた場合のみ紹介され、考えなければ紹介されることはないということです。
初診では、がんに対する患者さんの不安のみならず、放射線に対する不安への対応から始めることになります。他の治療法(外科治療や抗がん剤治療)に比べて治療成績が劣るのではないかとの誤解を解くこと、放射線の副作用についての的確な(誇張のない)説明などです。
患者さんにとってはもっともな心配ではありますが、放射線の光の部分よりも影の部分を大きくとらえている傾向がみられます。放射線の光と影のバランス感覚の問題が横たわっているのです。このバランス感覚は、一般の人々にとってはもとより、紹介医を含め多くの医療人にとっても理解が容易ではないでしょう。このような特殊な立場での診療を通してえた知見を、地域社会の健康な人々に対しても還元し、放射線に対する漠然とした不安を少しでも軽減させるためのきっかけができれば、と相談員をお引受けしている次第です。

不安の根源と軽減

不安といえば、「鉄道や飛行機に乗るのは怖い( が乗らざるをえない )」、「安心して病院にもかかれない(がかからざるをえない)」、「学校や銀行だって安心できない(が行かざるをえない )」、などと思う人が増えているかも知れません。「起きてはならないことが起きてしまいました。今後二度とこのようなことが起こらないよう・・・・」、と責任組織の幹部が頭を下げる光景がやたら目につく昨今です。しかし私は、今後二度も三度もくり返されるであろうと不安を抱かざるをえません。寺田寅彦氏は「天災は忘れたころにやってくる」との名言を残しましたが、今や「人災は忘れないうちにやってくる」の感があります。
20世紀後半に始まる急速な科学技術の進歩や社会構造の変化は、日常生活の利便性の向上とともに、 附随する潜在的危険(リスク)の増大をもたらしました。不安の根源の一つは、限りなく増大し続けるリスクを抑制する上で、人間の限りある感性が付いていけなくなったことにあるのではないか、と私は思っています。
身近な例として、ケイタイに見入りながら横断歩道を渡る人、逆に、 車が通ってもいないのに歩行者信号ボタンを押して待っている人を見かけませんか。この場合のリスクの実体(交通事故障害)は誰にでも容易に理解でき、リスクの度合(車の通交量や速度など)は五感で察知できる程度のものです。リスクの増大に備えて研ぎすませるべき人間の感性が、逆にさび付いてきていることに不安を感じます。
不安の軽減への第一歩は、リスクの実体を的確に理解し、 リスクの度合を敏感に察知することにあると思います。

放射線と不安

放射線に関するリスクの実体と度合とはどのようなものでしょうか。
リスク実体の典型は、最強兵器である核爆弾としての放射線エネルギーの瞬間的解放(熱風と爆風、並びに急性の大量放射線被ばくによる死亡)と残留放射能による汚染(慢性放射線被ばくによる発がん頻度の増加)でしょう。この場合のリスク度合は、核兵器を保有することそのものとその扱いといえるでしょう。日本人には原爆被災者としてのトラウマが根深く残っています。しかし、核兵器は専ら影の部分の放射線利用です。放射線に対する不安というより、人類の本質にかかわる不安という方が適切であろうかと思います。
では、放射線の平和利用(医療、工業、農業、発電など)においてはどうでしょう。殊に身近な放射線診断に限りましょう。
2004年2月の新聞に、 「国内でがんにかかる人の3.2%は、医療機関での放射線診断による被ばくが原因の発がんと推定されることが、英・オックスフォード大グループが行った初の国際的な研究で明らかになった。調査が行われた英米など15か国の中で最も高かった」との記事が載りました。放射線の影の部分に光が当てられた形です。この論文報告はあくまでも、決着をみていないある仮説に基づいて推定した結果なのです。どんなに微量な放射線でも、線量に応じて発がん作用があるとの仮説です。この記事は国内で大きな反響をよび、医療機関や関連学会は一時、読者からの問い合わせへの対応に追われました。この仮説の真偽の程はおくとしても、放射線の光の部分の結果として世界一の長寿国日本がある、という視点とのバランス感覚が欠除していると思われました。 無用な放射線検査は行わないようにするというのは別の視点です。

今後の活動

茨城産業保健総合支援センターにおいて昨年度、産業医の先生方を対象にセミナーを何度か開催致しました。テーマは検診における放射線被ばくです。今年度も継続して、このテーマでのセミナーを開催する予定です。加えて、新たに、企業や民間団体の方々を対象とした講演会を開催できればと思っております。感心が高いと思われるがん治療をテーマとすることも考えております。御要望や御意見がありましたら、茨城産業保健総合支援センターのホームページにお寄せいただけると望外の喜びです。


平成17年7月発行 茨城産業保健推進センター情報誌「さんぽいばらき」23号掲載